社長からのご挨拶

私たちの会社は、明治20年の創業以来鹿児島の方々に育てられてきました。

大正・昭和・平成と激動の時代を信用第一の考えで乗り越えてきました。 これからも、醤油・味噌の醸造元として地元の為になる会社を目指します。

おいしいものを食べて楽しく元気に暮らすことは多くの人の願うところです。
私どもの製品とサービスでお客様のお役に立ちたいと思います。


2014年10月吉日 代表取締役
占部大介

事務所内

世界に醤油を広げた『コンプラ瓶』

皆さんは、『コンプラ瓶』という世界に醤油を広げた瓶をご存知でしょうか?

長崎だけが、外国に開かれていた「鎖国」時代。出島から外出できないオランダ人らを相手に、様々な日用品を売る「コンプラ商人」と呼ばれる日本の商人たちがいました。
コンプラ商人たちは、やがて日本の醤油や酒を海外へ輸出するようになります。その際、使われるようになったのが、この『コンプラ瓶』。

一方、1858年の開国後、鹿児島でも島津斉彬がこの醤油輸出事業に便乗します。現在、鹿児島歴史資料センター黎明館には、JAPANSCHZOYA(ヤパンセ・ソヤ―日本の醤油)と書かれた輸出用のコンプラ瓶が所蔵されています。

コンプラ瓶

薩摩方言がSOYSAUCEの語源に!?

さて、黎明館にある、そのコンプラ瓶の説明にはこう書かれてあります。

「薩摩方言が英語の語源に」

島津斉彬は貿易品としての重要性から、陶磁器の製造に力を注ぎました。集成館内に磯窯を開き、釉薬(うわぐすり)・顔料の研究や、洋式の磁器の試作をしました。
この薩摩焼の瓶は、ヨーロッパへの醤油の輸出用につくられたもので、オランダ文字で「JAPANSCHZOYA」(日本の醤油)と書いてあります。
このときの醤油の輸出により、薩摩方言で醤油のことを表す「ソイ」が、英語の「SOYSAUCE」(ソイソース:醤油のこと)になったといわれています。
(鹿児島歴史資料センター黎明館より)

また、もう一つの説には、醤油の原料である大豆(英語で「ソイ」)から、「SOYSAUCE」という言葉が生まれたともいわれています。